2009年4月23日木曜日

カメラは知的な遊びなのだ。-田中長徳著-

またぞろ写真というかカメラにまつわる本を買ってしまった。しかも、技術書ではない。

先日読んだ「カメラに訊け!」で田中長徳の語調や思想に慣れてしまったのか、もともと僕にもそういう素養があったのかよく分からないけど面白く読めた。
Amazonのレビューを見てみるとあまり良い感想はない。

そもそも、技術的な側面をこの本に求める人には疑問に応える内容はないような気がするし、元来僕のようなシロートが趣味で選んだ分野のこういった類のものは嗜好の強いものなので読者の意見はバラバラになって当然だと思う。

田中長徳は著名な写真家である(らしい。僕はまだこの分野に足を入れたばかりなのでよく分からないけど)のだが、結論から言えば「職業 写真家」「趣味 カメラ」「好きな遊び カメラ」的な平たく言えば「カメラ爺」だ。

デジタルカメラの時代に銀塩カメラしかも「ライカ」への思い入れたっぷりなところは嫌いじゃない。でも、僕なんかはフィルムカメラで「どうにかしよう」なんて考えていないわけだから鼻につくところもないわけではない。写真家たるアイデンティティーを「ライカ」に依存しているとも思える。僕は当然、そういうところがむしろ好感が持てたりする。

読後、感じたのは田中長徳は今のデジタルカメラにライカを忘れさせてくれる魅力がないようだ。
確かにハードウエアとして成熟しきったフィルムカメラとまだまだ成長過程にあるデジタルカメラでは製品のライフサイクルが異なる。今年の最新技術を用いたデジタルカメラは、来年には陳腐化する。一方、フィルムカメラにはそういうことがない。

チョートクさんが言うように売る側にも問題がないわけでもない。
チョートクさんは直接言及していないが、僕が思うに、あまり有意義とは思えない高画素競争が一段落したと思ったら、ここ数年は画像保存フォーマットによる多様性でカメラを売ろうとしているのではないだろうか。
そもそもプロでも滅多に使わない(とチョートクさんが言っている)RAWデータにどんなメリットがあるだろうか。
RAWデータはTIFFやJPEGのような互換性がないらしく、現に各メーカーあるいは各モデル毎にRAWデータのフォーマットが異なる。
そんなRAWデータが保存できるデジイチ(デジタル一眼レフ)が素人に売れまくっている「おかしな現象」を創出しているのはメーカーの広告の賜物なんだろうと思う。

今時、JPEGで保存したからと言って、そうそう頻繁に絶望的な「破綻」はないように思う。画像の破綻(撮影者の意図と異なる結果を含む)を画像フォーマットで回避しようというユーザーの動機(RAW現像で再現できるという思い込み)にも問題はあると思う。
JPEG保存であっても破綻の無い(無視できるほど少ない)ハードウエア開発をメーカーに求めるのがユーザーの正しい姿だと思う。
しかし、そういうものが出来てしまえば、今ほどデジタルカメラは売れないだろうと思う。

カメラ(写真)を趣味とせず、子供や孫の成長記録(運動会の写真、学芸会の写真等)や旅行のスナップを確実に記録するのが目的ならフルオートの「コンデジ」の方がデジイチよりも遙かに機動性がある。

カメラや写真で遊び、楽しみたい(こういうのを趣味にするっていうのかな)という人はフルマニュアルのカメラが良いんじゃないかと思う。
チョートクさんによればフィルムカメラは「写っていないかもしれないドキドキ感がある」なんて書いているけど、同じようなドキドキ感はデジタルカメラでもできることだと思う(デジタルカメラの即時再現性を捨てることになるけど)。
帰宅して、PCにデータを移動させファイルを見て一喜一憂する。できればソフトウエアで手を入れない。
レンズと撮像素子、絞りとシャッタースピード、ピント、そして、アングルとフレーミングで勝負。
こうなれば遊びとして相当知的であり、ワクワクドキドキできると思う。

実現にはデジイチやレンジファインダーのデジカメが必要だけど...
ああ、ここまで触発、感化されるとR-D1が欲しくなる。


ところで、本書に「5万円から始めるライカ」があったのだが、今朝出社してWebで探したのは秘密だ。
欲しいと思うけどフィルム買って、現像に出して...と考えるとコストの掛かりすぎる遊びになっちゃうよな。
遊びは「時間がかかって」(知的・技術的に難しい等)「安い」くないと面白くないし、長続きもしない。

まぁ、今の僕には経済的にゆるされない範囲のことなので、現状でできる範囲で遊びたいと思う。

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なんか、読後の感想と読後の自分の決意(笑)みたいなものがごちゃ混ぜになってしまった。

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